餞のぶろぐ

中原備忘録

ぼくと佐藤と美南さん 1

ーー今日も暇だなぁ、暇でいいんだけども。

 

  9月、なにかと話題になった東京五輪も閉幕し季節は夏から秋へと変化していく。 世の中は新型感染症の影響であらゆるところで制限をかけられており、俺も大学も3年生から余りキャンパス行けていない。

  

ーーこれで金もらえるんだからあほらしいよなぁ。

  

 その話題の、感染症を検査をするセンターの受付で俺はアルバイトをしていた。

 センターのバイトは楽だった。簡単な接客と検査キットを担当者に渡すのが主な仕事だった。というよりも、仕事の内容はそれだけだった。

 スマホをいじっても怒られないし、これで時給1500円なんだから馬鹿馬鹿しい。

 

ーーなんか、喉がいがいがするなぁ。

 

 まぁいつかはこうなることはわかっていた。診断結果のうち数人は陽性反応が出ていたし、その検体に触れている俺にもうつるのは容易に考えられた。

 一歩間違えれば死に至るのだからこんなに楽で時給が高くても誰もやりたがらなかった。

 実際このバイトのほとんどは中国人が多数を占めていた。

 

ーー2週間も自分の部屋に引きこもれって。

 

 違和感を覚えた翌日にはもう唾を飲み込みたくないほど喉は痛くなっていた。

 結果は陽性。自分の部屋は一番落ち着くが俺は『ニート』とか『引きこもり』ではない、二週間も引きこもるのはなかなか苦痛だった。

 時間をつぶしてくれるゲームやSNSにも限界があった。

 気楽でちょろかったアルバイトも一か月でやめることになった。

 

 

「また1からバイト探さなきゃいけないのかよ・・・」

 

 2月に今までやっていたバイトにマンネリを感じ、そこから寿司屋のデリバリーをしたり、うどん屋でうどんマイスターを目指したりしていた。

 頭の回転が速いわけではなかった。人の3倍は覚えが遅い、覚えられればそこからはひょいっとできてしまうのだがそれを理解できる人も多いわけではない。

 『複雑なオーダーを記憶しつつ迅速にうどんを作る』のも『店からゴールまでの道のりを頭の中に叩き込んで指定された時間内に戻ってくる』ことも、俺にとっては難しかった。

 一応デリバリーはできるようになってきたがこんなところで働いてたらいつか事故って死ぬのでは、と思いやめてしまった。信頼していた先輩が実際にバイクとぶつかってしまった、という話を聞いたのもやめる動機としては十二分だった。

 

ーーいっそ、カラオケのバイトでもやってみるか

 

 前にカラオケバイトは楽という話をミネソタが話していたのを思い出した。

 ミネソタとは、Twitterで知り合った同年代の友人である。

 なんかいろいろな客がくるみたいで、 

 業務内容も難しくなかったしちょっと楽しそうだったので前から興味を抱いていた。

 

 

 「まぁ、社会人になるまでの短期間だけど楽しんでみようじゃないの」

 求人はすぐ見つかった。さすが日本で5番目に利用客が多い駅だ。

今までと違う点は開店前、つまりオープニングスタッフを募集している点だった。

 人間関係に嫌気がさしていた自分にとって、まだ既存のコミュニティが作られていないオープニングはむしろうれしい。

 

ーーオープニングだし、人間関係も大丈夫そうじゃん。

 

 人間関係にうんざりしていた俺はここなら大丈夫なのではないか、といった気持ちを抱きつつ、個人情報を入力し応募した。